神田神保町の隠れた名店「兵六」とは
神田神保町と言えば、世界一の古書店街として知られており、多くの知識人や文学愛好者が訪れる場所です。
その片隅に、戦後すぐに開店し、70年以上もの間続いている居酒屋「兵六」が存在します。
この店は、初代主人である気骨ある薩摩出身の明治男、平山一郎が創業しました。
彼は上海に留学し、戦後の混乱期に引き揚げてから、魯迅や芥川龍之介、尾崎秀実など文化人たちと交流を深めました。
こうした歴史的背景と初代の独特な人柄が、「兵六」を瞬く間に「名店」と呼ばれるような存在に押し上げました。
この居酒屋は『出没!アド街ック天国』に3度紹介され、『吉田類の酒場放浪記』では「1000軒達成記念」として2021年2月に2回目の登場を果たしています。
また、雑誌「サライ」をはじめとした多くのメディアにも取り上げられているため、誰もが一度は耳にしたことがあるかもしれません。
そんな「兵六」ですが、その魅力の一つが、初代主人の妻、秀子さんが生み出した中国由来の料理です。
この料理を味わうために、常連客が頻繁に訪れ続ける居酒屋でもあります。
3代目亭主が語る「兵六」の物語
「兵六」の70年に及ぶ歴史を綴った本が、3代目亭主となった柴山雅都さんの手によって著されました。
彼は22歳のとき、初代の甥として3代目を引き継ぎました。
当時は茶髪の長髪で、まるでロックバンドのメンバーのような風貌で、さらにお酒を飲むことができない人物でした。
「居酒屋の主人としては不似合い」と自認する一方で、彼がこの長寿の居酒屋をどう受け入れ、どう成長させていったのかが見どころです。
柴山さんは自らを「コミュ二ケーション障がいがある」と述べており、客商売に不安を抱いていたといいます。
しかし、それでも多くの常連客が訪れる「兵六」には、特別な魅力があったのです。
この本では、開店当初から初代の人間的な魅力に焦点を当て、またメディアでは触れられなかった平成以降の様子を丁寧に語っています。
「兵六」の隠れた魅力と客の絆
「兵六」がこれほどまでに愛され続ける理由の一つに、店の雰囲気と客同士の絆があります。
客席数20ほどの小さな居酒屋で提供されるお酒は焼酎を中心に5種類しかありませんが、それが逆に客同士の会話を促進する要因となっています。
小さな空間の中で自然に話が弾むように工夫が施されており、店内には穏やかな時間が流れています。
また、長年にわたり通っている常連客たちは、それぞれに思い出深いエピソードを持っています。
初代主人と話をした思い出、秀子さんの料理を味わったあの瞬間など、数え切れないほどの思い出がこの店には溢れています。
3代目の柴山さんも、こうした常連たちの体験を大切にしつつ、自身も彼らの一部となりながら新たな歴史を刻んでいきます。
歴史を重んじる「兵六」の客層とその文化
「兵六」を訪れる客層は幅広く、知識人や文学愛好者から、ふらりと訪れた観光客、地元の常連客までさまざまです。
しかし、どんな客でも「兵六」によって受け入れられるという安心感があります。
これは、世界の大変動を乗り越えた「兵六」の歴史を感じさせるからかもしれません。
混沌とした現代社会の中で、古き良き時代の香りを残すこの居酒屋では、客たちは自然に肩の力を抜き、ゆったりと時間を過ごすことができるのです。
「兵六」を訪れることで、彼らは自分自身のルーツや居場所を再確認することができるのではないでしょうか。
「兵六」の魅力を体感することの意義
なぜ「兵六」が多くの人々にとって特別な存在であるのか、その理由はその歴史的意味合いと人間的な温かみにあります。
ここで過ごす時間は、単なる飲食の場を超越し、心の安らぎや交流、感動を与える場として機能しています。
初代から続く伝統と柴山さんによる新しい創意工夫が、訪れる人々に一つ上の体験を提供してくれるのです。
温かい空間と心のこもったおもてなし、それに秀子さんが生み出した料理の数々は、お酒を通じて気軽に楽しむことができます。
その体験はどこか懐かしい、そして新鮮さでもあるのです。
「兵六」は、訪れるたびに異なる表情を見せ、それが多くの人々に愛される要因となっています。
居酒屋文化の本質を探る
「兵六」という居酒屋を通して見えてくるのは、日本人にとっての居酒屋文化の本質です。
単に飲食を提供する場ではなく、人と人とを結びつける空間、そして時代の移り変わりを共有する場でもあります。
柴山さんが著した「兵六の物語」は、そのような居酒屋の機能や価値を再評価し、時代を超えて受け継がれていく文化の重要性を示しているのです。
歴史は、人々の思い出や日々の小さな出来事によって彩られます。
そして、それを形作る背景には、このような居酒屋の存在があります。
「兵六」は、それを象徴するような存在であり、多くの人々の心に触れる物語を育んできたのです。
柴山さんの手によってその物語が再び語られ、読み手にとっても新たな発見となることでしょう。